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犯罪白書
令和5年版犯罪白書 特集 非行少年と生育環境
野坂 祐子
はじめに令和5年版犯罪白書では、第7編に「非行少年と生育環境」と題する特集が組まれている。少年を取り巻く生育環境と生活状況の変化について、戦後少年法制等の変遷をふまえた社会の動向と昨今の少年非行の特徴がまとめられている。そうした基礎資料をふまえて、現代の非行少年の生育環境について小児期逆境体験(Adverse Childhood Experiences:ACE)を含めた複合的な視点から分析した特別調査の結果が紹介されている。
後述するように、非行犯罪の背景にあるトラウマに着目し、小児期の不安定な家庭環境や安全感の喪失が思春期以降の非行行動にいかに結びついているかを理解し、トラウマの影響を考慮した処遇を行うアプローチをトラウマインフォームドケア(Trauma Informed Care:TIC)といい、少年司法を含めた対人援助において世界的な潮流となりつつある。犯罪白書において本特集が組まれたことは時流に合ったものであり、非常に意義深いものである。
今号の特集は、非行少年の生育環境と関連付けて、彼らの特性を把握することが目指されている。これに先立ち、平成2年から令和3年にかけて計5回実施された「少年鑑別所入所者等に対する生活意識と価値観に関する特別調査」では、非行少年等の生活意識や価値観という主観面から、彼らの特性の把握が試みられている。それに加えて、彼らの主観的認識の形成に大きな影響を及ぼしうる保護者との関係性や家庭の経済状況等といった客観的な情報から分析することもきわめて重要である。その意味で、今号の特集は、これまでの知見を多角的に捉え直し、現代の非行少年の特性等を踏まえた処遇の更なる充実に向けた重要な資料となることが期待できる。
1 時代の変化と少年法制の変遷
本特集の流れにそって、要点を整理し、課題等をあげていきたい。
まず、少年法制に係る主な動きとして、児童福祉法(昭和22年)の制定に始まり、令和3年に成立し翌4年から施行された少年法等の一部を改正する法律までの概観がまとめられ、少年による刑法犯・特別法犯の動向が示されている[第1章・第2章]。とくに平成期に入って、少年による凶悪重大事件が相次いで発生するなどしたことから、少年事件の処分及び審判手続の厳正化並びに被害者等の保護の必要性等が認識されるようになり、平成12年の少年法等の大規模な改正に至る。このうち少年事件の処分等の在り方の見直しについては、刑事処分可能年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられ、少年院において懲役又は禁錮の刑の執行ができることとされたほか、16歳以上の少年に係る死亡事件は原則として検察官に送致される原則逆送が定められた。少年法等の一部はその後も改正が重ねられているが、平成20年には、犯罪被害者等基本法等を踏まえ、少年審判における被害者等の権利利益の一層の保護を図るため、被害者等の申出による意見の聴取の対象者の拡大や被害者等による少年審判傍聴制度の導入等が行われた。さらに、平成26年の少年院法及び少年鑑別所法の成立により、矯正教育や社会復帰支援等にまつわる法定化や取組等の充実が図られることとなった。
少年法制の変遷は、戦後から現代までの少年による刑法犯等の検挙人員の推移や社会情勢の変化と連動している。同特集では、昭和20年代の少年非行の増加が、敗戦による社会秩序の乱れ、経済的困窮、家族生活の崩壊などの社会的混乱を背景としたものから、30年代から40年代の少年人口の増加と高度経済成長過程における工業化、都市化等の急激な社会変動に伴う社会的葛藤等の増大を背景としたものに変わり、さらに豊かな社会における価値観の多様化、家庭や地域社会などの保護的・教育的機能の低下、犯罪の機会の増大などの社会的諸条件の変化が関係したものだと述べられている。平成期以降は、少年による刑法犯等の検挙人員は全体的に減少傾向にあるものの、凶悪重大事件が相次ぎ、児童買春・児童ポルノ禁止法違反や大麻取締法違反など、高止まりや増加傾向を示す罪名もあり、全体の検挙人員の増減推移だけでは把握できないと指摘されている。
こうした少年法等の変遷や社会の変化には、非行や犯罪をどう捉えるかという視点と同時に、「被害者の存在」に社会的関心が向くようになったことも影響している。前出の犯罪被害者等基本法が成立した平成16年から遡ること10年、日本において心的外傷(トラウマ)が注目されるきっかけとなったのが、平成7年に起きた阪神・淡路大震災であった。大災害によって損壊したインフラや家屋が再建されることを「復興」と認識していた当時は、生存者(サバイバー)の長期的な精神的不調や生き延びたことへの罪悪感等が十分に理解されていなかった。さらに、トラウマと言えば、大規模な災害や事故、凶悪犯罪を指し、家庭でのドメスティックバイオレンス(DV)や虐待、子どもや男性への性暴力は、事象自体が否認されてきた面がある。トラウマの概念が広まり、その深刻な影響に関する国内外の知見が蓄積されたことで、児童虐待及びDVによる被害者の保護の必要性が認識され、児童虐待防止法(平成12年)と配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(平成13年)の成立に至った。従来、「しつけ」や「夫婦(痴話)げんか」とみなされてきた事象が法制度の対象となったことで、暴力に対する社会の認識も変化した。少年法制に係る動きも、当然ながらこうした社会の動向と密接に関連していよう。
家族などの親密な関係性における暴力は、より脆弱な立場に向けられる力の乱用(abuse =虐待)とも捉えられ、社会の権力格差や差別構造等とも密接に関連する事象である。雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律が制定されたのは昭和61年であるが、現代においても男女の均等な機会や対等な関係性等が実現したとは言い難い。犯罪や暴力の抑止を考えるうえでは、社会構造における搾取や抑圧等にも目を向けていく必要がある。「被害者の存在」への認識は、「被害者としての非行少年」の理解にもつながっている。後述するTIC は、個人の非行や犯罪等の背景にあるトラウマの否認から認識へと転換させるアプローチであり、大きく言えば、トラウマティックな社会構造やシステムを問い直すエンパワメントモデルである。
強制性交等罪が不同意性交等罪に変更された刑法改正(令和4年)にみるように、関係性における個人の同意が重視されるようになってきた今、非行少年への処遇等においても自他を傷つけない関係性を築く力の育成とともに、少年自身の被害体験の影響を考慮した取組が求められる。
2 少年を取り巻く生育環境及び生活環境の変化
続いて、各種統計資料等に基づき、少年を取り巻く生育環境や生活状況の変化の概観が示された[第3章]。社会全体として、最近30年間の人口の推移から、少子高齢化が進行し、全国の世帯総数自体は増加している一方で平均世帯人員は減少傾向にあり、児童(18歳未満の未婚者)のいる世帯は全世帯の18.3%に低下した(令和4年)。また、婚姻件数に占める再婚件数の割合は26%(令和3年)であった【7-3-1〜3図】。
児童の人口とその世帯割合が減少しているのに対し、児童虐待の相談対応件数は上昇傾向が続き、令和3年度には20万件を越えている【7-3-5図】。もっとも多い心理的虐待は、DV の目撃(面前DV)を含むことによるものである。家庭での暴力の目撃や両親との離別、家族の機能不全等は、ACE に該当するトラウマティックな体験として、子供の健全な発育を阻害することが知られている(Felitti et al., 1998他)。
子供の教育に関しては、高等学校における中途退学者数と中途退学率は減少傾向が続いていたが、令和3年度はいずれもやや増加・上昇している【7-3-6図】。顕著な変化として通信制高等学校の生徒数の増加が挙げられ、とくに私立の通信制高等学校の生徒数は一貫した増加傾向が示されている【7-3-7図】。
また、13歳から19歳までの者のテレビ・インターネットの平日の視聴や利用時間に関しては、テレビ視聴を行ったテレビ行為者率が大幅に軽減し、令和4年度は50.7%と約半数まで低下している。他方、インターネット利用のあったインターネット行為者は同年度で94.3%と9割を越え、現代の少年にとって身近なメディアはテレビよりもインターネットであることがうかがえる【7-3-9図】。
本特集では、こうした社会全体の傾向と少年一般の生活環境の概観とともに、昨今の少年非行の動向等として、少年による刑法犯等の検挙人員の動向と少年院入院者及び少年鑑別所入所者の状況と意識の変化を取り上げている[第4章]。ここでは、少年鑑別所入所者の意識の変化について見ていきたい。
少年の意識の変化(令和4年度版犯罪白書より一部再掲)は、少年の主観による回答となるが、少年の家庭生活に対する満足度において「満足」の構成比は平成10年以降一貫して上昇している。とくに令和3年調査では8割近く(78%)に達しており、逆に「どちらとも言えない」及び「不満」の構成比は一貫して低下している。家庭生活を「不満」とする者は全体の約1割にとどまり、その理由としてもっとも多いのは「親が自分を理解してくれない」(55.6%)であり、次いで「家庭内に争いごとがある」(44.4%)、「親の愛情が足りない」(33.3%)であった。家庭の経済面(「収入が少ない」)や物理的環境(「家が狭すぎる」「家の周囲の環境が悪い」)などは約1割もしくは回答者がおらず、非行少年にとって、親に理解されたい、愛されたいという情緒的ニーズが高いことがうかがわれた。また、家庭内の不和という逆境的環境を不満の理由に挙げる少年もおり、安定した家庭状況が望まれていた【7-4-3-5〜6図】。
さらに、家族との関係について、「家族との話を楽しいと感じる」(91.3%)と回答した者の割合は上昇しており、「自分の将来について親に話したいと思う」(66.5%)も平成2年調査に比べて、平成17年調査以降は6割を越える回答率が続いている。逆に、「自分が何をしていても、親があまり気にしていないと感じる」(17.6%)や「親のいうことは、気まぐれであると感じる」(23.2%)、「親がきびしすぎると感じる」(38.8%)といった親に対する否定的な評価は低く、家族との良好な関係性や肯定的な評価を示すものが多いことがわかる【7-4-3-7図】。つまり、家族に対する不満や反発、親への怒りなどが直接的に非行に結びついているというより、少年にとっては楽しく話せる家族がおり、家庭生活にも満足している者が多いにもかかわらず、非行に至ったのはなぜかを考える必要がある。家族との会話を楽しむと同時に、「家では自分の部屋などでひとりでいたいと思う」(67.8%)と回答した者も多く【同上】、親と過ごす時間を楽しみながらも独立した境界線(物理的・心理的境界線)が形成されていく思春期らしい傾向もみられたが、家族との会話がない非行少年にとっては家庭内で孤立している状態を表している可能性も考えられる。
3 【特別調査】生育環境に困難を抱える非行少年の実態
今回の特別調査は、生育環境に困難を抱える非行少年への効果的な処遇・支援の方策の検討に資する基礎資料を提供することを目的に、非行少年の生育環境の実態を明らかにしたものである[第5章]。対象は、少年院在院者及びその保護者、保護観察対象者及びその保護者であった。
1)養育状況
まず、養育の状況として、家族としたことがある経験(以下、いずれも重複計上による)【7-5-2-1図】は、少年院在院者、保護観察処分少年共に、「学校の行事に家族が来る」「動物園や水族館に行く」「テーマパークや遊園地に行く」と回答した者がいずれも8割を越えており、比較で用いられた一般少年データよりも該当率が高かった。一方、「小さいころに本や絵本を読んでもらう」の該当率は、一般少年が73.2%であったのに対し、保護観察処分少年では61.2%、少年院在院者は47.4%と低かった。また、「図書館に行く」の該当率も、一般少年の64.9%に比べて、同順で45.8%、33.8%であり、少年院在院者においては一般少年の約半分の割合しか経験していなかった。
前項2に挙げたように、非行少年は親と過ごす時間を楽しみ、家族との会話も楽しんでいることは、家族との外出等のイベントの経験が多いという生活体験からもうかがい知ることができる。家族志向が強いともいえる非行少年と保護者の生活であるが、幼少期の本の読み聞かせといった親子のやりとりや調べものを一緒に行うといった経験は乏しい。こうした幼少期の体験は、のちの学習習慣とも関連することが予測される。中学2年の頃の勉強の仕方【7-5-2-5図】を見ると、「自分で勉強した」の該当率が、一般少年では76.7%であるのに比べて、保護観察処分少年は35.3%であり、少年院在院者は16.9%であった。逆に、「学校の授業以外で勉強はしなかった」の該当率は、一般少年は4.9%にとどまるのに対して、保護観察処分少年は25.3%、少年院在院者に至っては49.2%と占める割合が大きく異なった。また、同時期の授業の理解度も、「分からなかった」の該当率が、保護観察処分少年は41.6%、少年院在院者は68.8%と、これも一般少年の11.4%よりも構成比が高かった【7-5-2-6図】。
これらの結果から、非行少年の処遇において学習支援が重要なのは言うまでもないが、単に勉強がわからない、苦手というのではなく、幼少期からの生活習慣として読書や学習の経験が乏しく、家庭における勉強や勤勉さに対する価値が低い場合は、学習への動機づけが必要となる。学習の仕方を身につけ(学習方略の獲得)、習慣づけるための環境調整も欠かせない。
また、食事の頻度【7-5-2-2図】や家族との夕食の頻度【7-5-2-3図】では、一般の少年と比較して、非行少年は1日3食の規則正しい食生活を送っている者が少なく、家族と夕食をとる機会が限られている様子がうかがえた。食生活のほかにも、日常の過ごし方【7-5-2-4図】において、一般の少年との違いが見られたのが、非行少年のほうが、ゲーム、テレビ、インターネット等に充てている時間と、家事に充てている時間及び家族の世話・介護に充てている時間が長いことであった。実際の状況は不明であるが、非行少年のなかにはいわゆるヤングケアラーとして、自分の時間を家族のケアに充てている者がいる可能性がある。家族の世話や介護をすること自体が問題なのではなく、規則正しい食生活などの基本的な養育が不十分な状況で家族のケアを求められることは、子供自身のニーズが満たされず、子供時代の喪失体験にもなりうる状況といえよう。
さらに、他者との関わり方、社会とのつながり【7-5-2-9図】として、誰と、どんな関わりを持っているかは、保護観察処分少年は少年院在院者よりも、他者との関わり方について全般的に肯定的に捉えており、とくに「学校で出会った友人」への関わりが多いと回答された。一方、「インターネット上における人やコミュニティ」に対しては、少年院在院者のほうが「楽しく話せるときがある」(63.4%)、「会話やメールなどをよくしている」(54.3%)の該当率が高く、インターネット上の交流を肯定的に捉えている傾向がうかがえた。ただし、「困ったときは助けてくれる」(18.1%)、「何でも悩みを相談できる」(22.5%)のように、困りごとや悩みの解決に関してはインターネット上の交流では限界があることも感じているようであった。
これから先の自分や家族にとって必要な人や仕組み【7-5-2-10図】を尋ねた項目では、少年院在院者のほうが保護観察処分少年と比べて、総じて相談相手や居場所、相談窓口や専門家などのさまざまな仕組みを求めていたことから、在院中に社会資源につないだり、具体的に相談の仕方を練習したりするのも有効だろう。しかし、相談したいと思うことと、実際に相談する行動をとることは異なる。そもそも他者への不信感や自分の将来に対するあきらめが強ければ、社会資源を活用する動機は低いことが考えられる。こうした否定的な認知や感情には、しばしば生育環境におけるトラウマが影響していることがあるため、次項では非行少年のトラウマについて概観を示し、考察する。
2)小児期逆境体験の有無による比較
特別調査の中心的な調査項目が、小児期逆境体験(ACE)と呼ばれるトラウマ体験の有無とそれによる影響である。世界保健機構(WHO)は、ACE を「子供が人生早期に、最も強度で頻回に受けるストレス体験」と定義している。本調査では、虐待(身体的、心理的、性的)、ネグレクト(身体的、情緒的)、家族の機能不全(親のメンタルヘルスや物質依存の問題、両親間の暴力、同居家族の収監、両親との頻回な離別)の10項目(Felitti et al., 1998)をACE としている。
18歳までにACE を幾種類も経験するほど、神経発達不全や社会的・情緒的・認知的な問題を抱えやすくなり、喫煙、暴飲暴食、薬物依存等の危険な行動が増加し、精神疾患や身体疾患の有病率、自殺のリスク、犯罪などの社会適応上の問題、早期の死亡等につながることが明らかにされている(Felitti et al., 1998)。現在はさらに、家庭外の社会文化的要因による逆境、すなわち、危険な地域での居住、貧困、暴力、差別等を含む社会経済的不利、低水準の保育や教育・施設養育、仲間からの孤立やいじめ、病気、負傷、自然災害等もACE に含むかが検討されている(Finkelhor et al., 2015 : Afifi, 2020他)。
本調査では、ACE を家庭での逆境体験に限り、上述の10項目のACEの有無を尋ねている。結果、1項目以上のACE を有する者は、少年院在院者で87.6%、保護観察処分少年で58.4%であった【7-5-5-1図】。対象者全体では、「親が亡くなったり離婚したりした」(54.8%)の該当率が最も高く、次いで、「家族から、殴る蹴るといった体の暴力を受けた」(47.4%)、「家族から、心が傷つくような言葉を言われるといった精神的な暴力を受けた」(35.6%)の順であった。全ての項目において、少年院在院者のほうが保護観察処分少年よりも該当率が高く、中でも「家庭内に、違法薬物を使用している人がいた」(少年院在院者11.9%、保護観察処分少年2.3%)、「家族から、食事や洗濯、入浴など身の回りの世話をしてもらえなかった」(同10.3%、2.3%)及び「母親(義理の母親も含む)が、父親(義理の父親や母親の恋人も含む)から、暴力を受けていた」(同34.8%、8.9%)の項目は、少年院在院者の該当率が顕著に高かった。
さらに、ACE の有無について、男女別の比較【コラム12】を見ると、回答した少年院在院者の人数の違いが大きいものの、ACE ありの人数及び構成比は、少年院在院者の男子86.8%、女子94.6%、保護観察処分少年の男子49.7%、女子69.3%で、どちらも女子のACE ありの構成比が高かった。男女で最も該当率の差が大きかった項目は、「家族から、心が傷つくような言葉を言われるといった精神的な暴力を受けた」であり、女子の心理的虐待の体験が多かった。こうした男女差の傾向は、他の調査でも類似の結果が示されており、社会における女子の脆弱性(被害に遭いやすさ)の高さを示していると同時に、男子が「心が傷つく」といった体験を被害として認めにくいといったジェンダー(性に関する社会的期待)も影響していることが考えられる。
日本でのACE に関する知見はまだ十分に得られていないが、参考として、一般高校生を対象とした調査(松浦・橋本・十一、2007;松浦・橋本、2017)では、少なくとも1つのACE がある者の割合は11〜12%であった。DV や児童虐待の報告件数、子供の貧困率の高さ等を考えると、逆境的環境にある家庭は少なくないことが推測されるが、いずれにせよ非行少年のACE の状況が深刻であることは間違いないだろう。
さらに、本調査では前出の非行少年の生育環境と生活状況に関する項目について、ACE の有無とのクロス集計が行われている。幼少期の養育者として「両親」を回答した割合は、ACE ありがACE なしより低く、少年院在院者と保護観察処分少年のいずれも約半数の割合にとどまった【7-5-5-2図】。ACE 項目に「親が亡くなったり離婚したりした」という死別や離別による喪失体験が含まれており、さらに両親のDV や家族の収監などの項目も、両親との生活を困難にさせるものであることが影響しているのだろう。養育者の状況と関連して、家族としたことがある経験も、総じてACE ありはACE なしよりも該当率が低かった【7-5-5-3図】。おそらく同様の理由によって、家族との夕食の頻度も、ACE ありはACE なしに比べて頻度が低かった【7-5-5-4図】。
他者との関わり方も、ACE ありはACE なしに比べて該当率が低く、とくにACE がある非行少年は、「父親」及び「地域の人」との関わりが少ないと回答していた【7-5-5-5図】。一方、ACE ありの少年院在院者は「インターネット上における人やコミュニティ」との関わりが多かった。逆境的環境で育った非行少年は、養育者の喪失や家庭での虐待・ネグレクトによって安全な関係性や居場所を失い、インターネット上のつながりに頼らざるを得ないのかもしれない。
さらに、非行少年が必要とする相談先や居場所に関しては、ACE なしのほうがACE ありと比べて「自分が気軽に相談したり、ぐちをこぼしたりできる相手」「借金や薬物依存などの問題に、弁護士や医者などの専門家が対応してくれること」「どんな内容の相談ごとでも受け付けて、相談に乗ってくれる窓口」が必要だと回答していた【7-5-5-6図】。他の結果で示されているように、ACE がある非行少年のほうが社会生活において困難が多いにも関わらず、ACE によって他者に相談したり、問題解決のために社会資源を活用したりする動機が低くなると考えられる。逆に、ACE がある非行少年のほうが必要だと回答した項目が「親とケンカをするなどして家に居づらい時に、安心してのんびり過ごせる場所」等であったことから、相談による心理的支援よりも居場所といった物理的な支援へのニーズが高いことがうかがえた。
本稿では詳細を割愛するが、本調査ではACE のほかに、非行少年の社会生活について家庭の経済状況の違いによる検討も行われている。所得の多寡、家計の状況、経済的な理由による子供の体験の欠如の有無の3つから、回答者を「生活困窮層」「周辺層」「非生活困難層」に分類した。結果、生活困窮層のほうが、保護者が子供にしていることや少年が家族としたことがある経験などが少ない傾向があり、経済的な理由が養育の状況や社会経験等に影響していることが明らかになった。非行少年の学習や進学の見通しとも関連していることから、家庭への経済的支援や奨学金の制度等の必要性も示唆された。
4 総括 少年司法におけるトラウマインフォームドケアのために
米国においても、ACE 得点が高い少年犯罪者は、人生のより早期にACE を経験していることが明らかにされており、逆境的な家庭環境が犯罪行動を含む不適切な対人関係パターンが育つ土台となりうることが指摘されている(Baglivio et al., 2015)。今回、非行少年のACE 得点が一般の少年よりも高く、とりわけ女子においてはACE を有する者がほとんどであったことから、彼らのトラウマの影響を理解した査定と処遇の必要性が示唆された。
トラウマの理解に基づく処遇の工夫や配慮を行うことをトラウマインフォームドケア(TIC)といい、職員と当事者が一緒に「何が起きているのか?」を理解していく姿勢を意味する(野坂、2019)。SAMHSA(2014)を参考にTIC の要点を挙げると、TIC はトラウマとその影響を「理解する(Realize)」ことから始まる。そして、知識に基づいて、対象者や職員自身、さらに組織の状態を「認識する(Recognize)」。トラウマ反応を念頭に置いて観察すると、反抗的な態度や話を聞いていないように見える態度が、逆境的環境を生き延びてきたことによる過覚醒や解離といったトラウマの影響として捉えられるかもしれない。トラウマに関連した刺激がリマインダーとなってフラッシュバックが生じている場合もある。恐怖によって生じている反応や行動化に対して叱責や非難をするだけではかえって状態を悪化させるため、安全な方法で「対応する(Respond)」。規律違反等を許容するのではなく、静かに声をかけて本人の状態を確認し、トラウマについて心理教育を行いながら、より安全な対処法(コーピング)の練習を重ねる。そうした関わりで「再トラウマの予防(Resist Retraumatization)」を目指すのがTIC である。
少年司法におけるTIC(Trauma Informed Juvenile Justice:TIJJ)は、非行や犯罪に至った少年の選択に何が影響したのかをじっくりと問い、有害な行動に対する説明責任を果たせるように支援するものである。そのためには、少年自身のトラウマが癒される必要がある(オウドショーン、2016/2023;野坂、2021)。非行や犯罪を逆境的環境を生き抜くための(不適切な)対処と捉え、説得や説諭、罰則等で行動変容を迫るのではなく、安全な環境と信頼関係のなかで回復を支えていく。TIJJは、職員の視点や社会の認識の転換を要するものである。
「トラウマがあるから」と少年が自分の加害を正当化したり、「自分だってやられた」「社会が悪い」と他者非難に終始したりするのは、非行や犯罪を維持させる思考の誤りである。また、過去のトラウマを「たいしたことではない」と否認することは、自分が行なった暴力や犯罪の正当化にもつながり、更生や回復を妨げる。TIJJ では、少年にトラウマ体験があることを想定するだけでなく、それが非行・犯罪等につながった機序を明らかにし、具体的な教育や介入に反映させる。被害体験があるというだけでは加害に至った理由はわからないし、トラウマの影響があったとしても加害行為が免責されるわけではないからである(野坂、2020)。
さらに、少年の社会状況や生活環境を改善するには、保護者への働きかけや家庭支援も欠かせない。特別調査では、保護者に対しても自分が成人するまでのACE を尋ねている【7-5-6-2図】。6項目のACE について「いずれも経験したことがない」の該当率は5割程度と最も高かったが、夫婦間での「頻繁な口げんか」や「暴力」は、2割〜4割が経験したと回答しており【7-5-6-3図】、潜在化している保護者のトラウマの影響についてもTIC の視点で理解しながら関わることが求められる。
また、対人援助の業務においては、対象者からの暴力や暴言にさらされたり、強い怒りや不信を向けられたりすることがある。とりわけ司法・矯正領域では、対象者の凄惨な生育歴や犯行内容の詳細を聞くことで、職員が怒りや恐れ、無力感や絶望感を抱くことがある。職員自身の反応をTIC の視点から「認識」しておかないと、処遇自体が「加害- 被害関係の再演」になり、職員の無力感が過度なコントロール(支配)やコントロールの喪失(言いなり)につながる危険性がある。職員も対象者と同じようにトラウマ化した状態に陥り、組織全体の緊張が高まり、不和や不信が増大するのは、トラウマの並行プロセスと呼ばれる(Bloom & Farragher, 2013 ; 野坂、2021)。
非行や犯罪といった暴力や不正義は、職員の心身の安全のみならず道徳的な安全感を揺るがし、批判や義憤の感情がわきやすい。組織の雰囲気は刺々しいものとなり、職員のなかには苛立ちを爆発させる者もいれば、苦痛や不安を感じないように抑圧する者も表れる。混沌とした組織では、上意下達の序列化が進み、懲罰的方針に傾いていく。こうした閉塞的で防衛的な組織の風土は、対象者に再トラウマを与えるような非人道的で不適切な処遇につながりかねない。疑心暗鬼な雰囲気のなかで職員が分断して孤立すると、職務上のストレスを一人で抱えることによって精神健康上の問題が生じやすくなるばかりか、情報共有が滞って組織の管理・運営上のリスクも高まる。
支援者の傷つきや無力感、疲弊等といった二次受傷を防ぐには、事前の対策とセルフケア、チームでの支え合いが非常に重要である。組織と職員の健全さを高めることで、再トラウマを生む負の並行プロセスを回復の並行プロセスに変えていくことが望まれる。
おわりに
特別調査においてACE を扱った本号の特集は、現代の非行少年の特性等を踏まえた処遇の更なる充実に活かすための貴重な資料である。児童の虐待や女子への性的搾取、男子の性被害等に対する社会的関心も高まっており、少年の保護と支援、矯正教育等の一層の充実が期待されている。
TIC は、少年の理解と支援に欠かせない視点であるだけでなく、職員と組織の安全を重視するものである。職員が孤立せずにチームの一員として業務にあたり、自分の感情や考えに向き合い、対等な関係性を築いていくよう努める姿は、少年や保護者にとってもよりよく生きるモデルとなるだろう。誰もが傷つきから回復できる社会を目指して、TICの普及と現場での実践が望まれる。
(大阪大学大学院人間科学研究科教授)
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